こんな感じで生きていく

北海道の大学3年生 日常生活で気がついたことについて書いていきます。

今頑張っていることが「努力」だと思ってもいいと思う

所ジョージさんの名言で

 

「苦労とか努力っていう人はたぶん才能ないんだと思うよ」

 

というのがある。

 

このように

「自分のやっていることが努力だと思っているなら、それは間違い」

という考え方はよく聞く。

 

「努力」だと思わないことに越したことはない

確かにその考え方に僕も賛成だ。

 

自分の頑張っていることが「楽しい!」とか「全然苦じゃない!」って思えた方がいい。その方がストレス溜まらないし、思いっきり力を発揮できる。

 

逆に頑張っていることを「努力」だとか「苦労」だと思っているなら辛く感じるだろう。そう思うのならきっとそれは、自分が苦手なものなのかな?とすら思う。

 

「努力」だと思わないのは、あくまで結果

もちろん、そもそも自分のやっていることが元々「楽しい」とか「全然平気」と思えるに越したことはないし、それをやっている方がその人にとって楽なんだと思う。

 

でも、元々「努力」や「苦労」だと思っていたものが、そうじゃなくなる時もある。

小さい頃嫌いだった食べ物が食べられるように。好きになるように。

 自分のやっていることを続けていくうちに、難なく取り組めるようになるかもしれないんだから、

必ずしも

 

「今やっていることは自分には向いていないんじゃないか」

「自分のやっていることを努力だと思っているから、自分はダメだ」

 

なんて不安に感じたり、自分をいじめなくてもいいんじゃないかな。

 

これから、今やっていることの楽しさに気づいていけばいいと思う。

そしてそれが、自分の得意分野になるかもしれないし。

どうしても辛かったらやめていいし。

そんな風にゆるく考えてもいいんじゃない?と思う。

 

 

 

 

本気で何かに取り組むと

誰にでも頑張っていることって何かあると思います(「頑張ってる」は多少語弊のある表現かもしれないですが)。

 

・仕事

・勉強

・部活

・趣味

...etc

 

色々ありますが何をするとしても

それを本気でやっていたら得られるものが沢山ある

と僕は考えています。

たとえその本気で取り組む対象が

世間ではタダの遊びだと思われていることでも。

 

本気になるほどレベルは高くなってくる

仕事にしろ遊びにしろ何をやるにしても、

手抜きでやるならダラダラとやっていればそれで十分です。

わざわざ生真面目になる必要なんてありません。

ですが本気でやるならそれに求められるハードルも高くなりますし、

又は自然と「もっと素晴らしいものにしてみせるぞ!!」

という向上心も芽生えてきます。

こうなってくると自分の取り組むもののレベルは高くなってきます。

もし身の回りの人で何かに本気で取り組んでいる人がいるとしたら、

その人はレベルの高いことをやっています。

 

本気でやっていたら頭フル回転する

 

手を抜かないで本気で取り組むとなると試行錯誤や努力は必要になってきますし

「どうすればいいんだろう?」

「こうすればいいんじゃないかな?」

「他にもっといい方法はないかな?いいアイデアはないかな?」

「あ!!これを参考にしてみよう!!」

と、頭をフル回転させるようになると思います。

そういった過程の中では例えば、

物事にこだわる力

柔軟に考える力

集中力

忍耐力

などを駆使していくと思います。

 

本気でやっている人は尊敬する

以上のように仕事でも遊びでも何かを本気でやると、

レベルは高くなりますし、

頭をフル回転する事になってきます。

一言で言うなら本気でやるとなると難しくなる、ということです。

そう考えると、何かに取り組んでいく過程の中で経験値がたまりますし、

自分の能力もアップしていくんじゃないかなと思います。

だからこそ、対象が何であれ本気で何かをやっている人には大きな魅力を感じます。

 

それでは!!

 

 

 

◯か×かの考え方から抜ける

「いい子でいなければいけない」

 

「頑張ることこそ美徳」

 

「バカな自分はダメなんだ」

 

「学生時代は〇〇をしておくべきだ」

 

そんな風に

これは◯で、これは×

と、考えていて

 

「なんだか苦しい」

 

「疲れる」

 

「しんどい」

 

そう思ったら、◯か×かで考えるのを一旦止めてみる。

 

◯か×かで考えるのをやめてみると

すっごく楽になれる。

 

◯か×かで考えている時にはいっつも、

"罪悪感"がいつも自分につきまとっている。

 

だから、少しでも◯に近づくために、又は◯の状態を保つために無理してでも頑張る。

×になったらとにかく自分を責める。自分はダメなんだと悲しい気分になる。

 

その罪悪感は勝手に自分一人で感じているものだ。

他人に否定されたために罪悪感を抱えることもあるだろう。

しかし、だからと言って一々鵜呑みにする必要はない。

何が◯で何が×なのか、という考え方自体曖昧なところがある。

法律ですら絶対的なものではないし批判されることもある。

 

もう、◯か×かで考えるのが疲れたなら一旦止めてみる。

むしろその考え方にこだわりすぎるがために、逆説的に自分自身が損をしてしまっている。

 

ずっとその考え方で生きてきた人は今までよく頑張ってきたと思う。

周りのずるい人間達の理不尽な価値観の押し付けにもよく耐えてきた。

だけど、もう楽に考えてしまってもいい。そんな人達の言動を真に受ける必要なんてない。

もう余計なものは捨ててしまおう。

あえて健康に気を使わない

タイトルだけ見ると何とも大胆だなと思われそうですが…笑

 

いや、別に不健康な生活をどんどんしろ!っていうわけではないです。

 

夜更かししまくれ!

甘いものたくさん食べろ!

お酒毎日飲んで飲んで飲みまくれ!

 

なんていうつもりはないです。

 

ただ、最近健康に執着しすぎるのもどうなのかなと思ったわけです。

 

メリットがあるから健康に気を使う

自分で言うのも変ですが、僕は健康には気を使っている方だと思っています。

 

・睡眠時間は最低6時間以上(確保できなかった時は次の日早めに寝る等でカバー)

・食事で栄養素はまんべんなくとる

・筋トレと有酸素運動をする

 

などやっています。

 

というのも、健康に気を使うことは病気や怪我をしづらくするだけではなく、

勉強や仕事にも取り組みやすくなりますし

メンタル的にも前向きになれることにつながります。

(このことはちゃんと科学的な裏付けがあるので気になる方は調べてみてください。)

 

このように、健康でいることのメリットを僕は知っていたので

健康に気を使っていました。

 

「健康に過ごさなきゃ!」という罪悪感

しかし、今思えば

「健康に過ごさなきゃ!」

「睡眠不足は大変だ!」

と、健康に気を使わないことへの罪悪感を持っていたように思います。

もっと言うと、自分が健康を疎かにした時に

「今日は5時間しか寝ていないからまともに勉強できないんだろうな」

「元気がないのは炭水化物ばっか食べていたせい」

と、言い訳じみたことを考えていました。

調子悪い時に、何の心当たりがなくても

「調子が悪いのは健康に気を使っていないせいだ」

と考えることすらありました。

 

"健康"という枠に自分を押し込めていないか

だけど、よく考えてみたらそういう考え方ってどうなのかな、と疑問に思いました。

確かに健康でいることにメリットはありますし、科学的な裏付けもあります。

逆に例えば寝不足だと注意力や集中力がダウンします。不健康にはデメリットがあります。

 

だけど、たとえ自分が健康に気を使いきれなかったとしても

健康とは到底言えないことをしてしまったとしても(寝不足とか酒の飲み過ぎとか)

だからって

「自分は不健康な生活をしているから自分はできなくても仕方がない」

 と、言い訳する必要ないと思いました。

 

いや、誤解のないように言っておくと

「仕事ができないのを寝不足のせいにするな!つべこべ言わず働け!」

と、ブラック企業じみたことを言うつもりはないですし、むしろ僕はそんな考えクソ食らえとすら思っています。

ただ、不健康なことをしたからって直ちに「こんなことを自分はしたから今日は調子悪いんだろうな」って考えなくてもいいんじゃないかってことです。

 

ざっくり言うと…

 

不健康なことをしでかしても、

元気あふれる自分でいていい

頑張ったっていい

ポジティブでいていい

 

そう考えていいんじゃないかということです(かなり乱暴な表現ですが)。

 

健康は大事ってことは変わらないけど

健康を蔑ろにするつもりは、今でもないです。

健康のメリットは確かにあります。

ただ、それをあまりにもどストレートに受け止めちゃって無意識に自分を縛り付けちゃっていたところが今まであったんじゃないかと最近では感じています。

過ぎたるは及ばざるがごとし、じゃないですけど健康を気にしすぎて逆に自分の可能性を狭めていたように思います。

 

不健康なことをしても、そんな自分に罪悪感は持つことはやめよう、と思いました。

 

これからは寝不足だったり酒飲み過ぎたりタバコ吸っても、

あえて元気に振舞ってみようと思います。

 

ではでは!

自分にとって大事なことを見極める

どうも、こんばんは。

 

皆さんは生きていく上で、

「自分はこれを大事にしている!」

っていうのはありますか?

 

こんな言い方だと多分ピンとこないと思うのですが

例えば

お金、友達、恋人、家族、自分の時間、趣味、仕事

などなど、色々あります。

 

ちなみに僕が大切にしているものの一つは「自分の時間」です。

具体的には、自分のやりたいことをやったり、思う存分に休んだり、思索にふける時間です。

 

人それぞれ大事にしていることはあると思うんですけど、今日は自分にとっての大事なことについて、自分の経験も踏まえつつ書いていきます。

 

自分の場合は「自分の時間」がお金よりも大切です。

 

 

お金があっても何故か満足していなかった時期

自分は昔、あるお店でアルバイトをしていました。

その時はお金を今に比べてたくさん稼いでおり、貯金がウン十万円貯まったこともありました。

そんな感じである程度貯まったので一旦そのバイトを辞めました。

 

けど、お金はたくさんあるはずなのに

何故か心はあまり満足していませんでした。

 

何故満足していなかったのか

その時の自分は、ひたすら忙しく生きていました。

バイトはしていなかったのですが、常にやらなければいけないことに追われながら生きていました。

そのため、自分のために時間を使う時間的な&精神的な余裕もなく、常にイライラしながら生きていました。

お金はあるけどそんなの関係ない。

世間では「よく考えよう!お金は大事だよ!」「お金があったら幸せ!」

なんて言うけどお金があっても自分は幸せとは当時は思えませんでした。

 

自分の時間を大事にしようとした

ようやく時間的な忙しさから解放されたので、その反動っていうのかは分からないですけど、「自分のやりたいことをやろう!」「自分の時間を有意義にしよう!」

って思うようになりました。

それ以前は、やらなければいけないことに追われていたので。

取りあえず、「自己啓発系の本が好きだから読もう!」「ギター弾こう!」

って思い、実際にそうするようにしました。

そしてアルバイトもまた始めましたが昔ほどは頑張らず、自分の出来る範囲で働くようにしました。

また、誰かに何かを頼まれたり誘われたりしても、それが気の進まないものであれば断るようにしました。

 

 

すると、お金はどんどん減りました。

当然ですよね。アルバイトはそんなに頑張っていないし、本を買うとお金がかかるし、ギターに関しては弦代やエフェクター代がかかってくる。

しかし、それでも昔に比べたら不満はほとんどありませんでした。

お金が減っていっても、そんなに稼げなくても別に良かったんだな

って思えました。

そこでようやく気づきました。

自分にとって大切なのはお金よりも、自分のやりたいことをやる「自分の時間」だったのだと。

 

自分にとって大事なことを見極めないと

自分にとって大事なことを見極めないと、

たとえ人よりお金を持っていようとも

高学歴であろうとも

友達の数が多かろうとも

オシャレな服を持っていようとも

自分の心って満足しないと思うんですよ。

逆に、自分にとって大事なことが見極められているのであれば

たとえそれ以外のことで損をしようとも

「別にいいや」「それでも構わない」

「それで満足だもん」

って思えるんじゃないかなって思います。

自分の場合だと、お金よりも自分の時間が大事ってことに気づきました。

まあ、お金は余程困るほど少ないというわけでなければ別にいいです。

 

もし、自分の心が満足していない時に

「自分にとって大事なものは何だったけ?」

と考えるのは一つの方法なのかな、と思います。

もっと大雑把に言うと

「世間の価値観に惑わされていないかな?合わせていないかな?」

「他人のことを羨み過ぎていないかな?」

って考えるのもありかなと思います。

 

自分にとって大事なものを大事にできていればそれでいいと思います。

もっと言うと自分の価値観で生きていいと思います。

 

だから、必ずしもお金、学歴、友達の数、今まで付き合ってきた人数とかにこだわる必要もないし、

周りの人から見たらよくないとされることもやっていいと思います(法に触れることはさすがにダメですが)。

 

というわけで、自分にとって大事なことを見極めることは大切だと思います。

 

というわけで今日はこの辺で!

自分の果たすべき役割って何だろう? 

どうも、こんにちは。

 

皆さんは日常生活において

 

「自分はどうしたら人の役に立てるのか」

 

「誰かのために何かしたいけど、どうすればいいんだろう…」

 

「そもそも、自分の強みって何だろう?」

 

って思ったことはありませんか?

 

このように、自分の果たすべき役割について悩むことってあると思います。

 

それを考える上での一つの基準について僕は先日気づきました。

その一つの基準にどのようにして気づいたのか書いていきます。

 

 

他大学との合同ゼミでの出来事

それは僕が先日、他大学との合同ゼミに参加した時の出来事でした。

合同ゼミの内容について簡単に説明すると、他大学の大学生とグループワークをし、グループワークで話し合ったことをパワーポイントや模造紙にまとめてプレゼンテーションをするという内容でした。

 

その時、僕のグループの中でPCを持っていたのが僕だけだったということもあって、僕がプレゼンテーション用のパワーポイントのスライドを作ることになりました。

 

自分がパワーポイント担当でいいのか!?

僕は今所属している学生団体での仕事でパワーポイント を使う機会があり、たまにパワーポイントでスライドを作ることがあります。

 

しかし、その団体には自分よりもパワーポイントを上手く使いこなせる人はたくさんいて、機能を余すことなく使いこなす人もいれば、芸術的なスライドを作る人もいます。

 

それに比べて僕は全然です。

 

なので、「合同ゼミで自分はパワーポイントでちゃんとしたスライド作れるかな…?」

 

と、不安しかなかったです。

 

そもそも、「自分はパワーポイントよりも得意なことがあるんじゃないか?それでもっと貢献するべきなんじゃないか?」

 

という具合で、パワポ以外にできることってあるはずだろうと思っていました。

 

だけど、意外と貢献できたかもしれない

しかし、グループワークでパワポのスライドを作成したり自分のグループのプレゼンテーションが終わった際に、同じグループの人から

 

パワポのスライド良かったよ!ありがとう!」

 

「私、パワポ使うの苦手だったから羨ましい!」

 

等のお声をたくさんいただきました。

 

自分はパワポに自信がなかったし、もっと他に貢献できることってあるんじゃないかと悩んでいましたが、

 

「あ…自分、役に立てたんだ!」

 

と思いました。

 

自分の果たすべき役割は周りの人達によって変わる

自分が普段活動している学生団体の中では、自分はパワポが苦手な方ですし

パワポでその団体に貢献することは難しいです。

 

しかし、合同ゼミにおいてはパワポを通じてグループに貢献ができました。

 

今まで一つの集団の中に閉じこもっていて「自分は◯◯が得意で、××が苦手だ。」と決めつけているところがありましたが、

 

別の集団に移動してみたり周りの環境が変わると、そんな固定概念は簡単に覆るものなのだと思いました。

 

つまり、僕が言いたいのは

 

自分の果たすべき役割は

 

周りの人達によって変わる。

 

ということです。

 

というわけで、これからは

 

周りの人達に応じて、柔軟に自分の行動を変えていこうと思います。

 

それでは!!

 

 

 

 

「もったいない」って前向きな言葉なんじゃないかな、と思う

どうも、こんにちは。

 

最近、「もったいない」っていう言葉は前向きな言葉なのでは?と気付いたので

今日はそれについて書いていきます。

 

 

 

「もったいない」ってネガティブに聞こえるけど

「もったいない」って字面だけパッと見た感じ

 

ネガティブな言葉

あまりいい響きじゃない

 

って思うかもしれません。

 

自分自身も以前は「もったいない」という言葉は悪い意味合いで使われる言葉だと思っていました。

 

「もったいない」という言葉の裏にある前提

しかし、この言葉の裏には前提があると思うのです。

 

それは…

「本来であればもっと良くなるはずなのに」

「もっといい使い道があるはずなのに」

という前提です。

時と場合によってこの前提のニュアンスが異なる場合はありますが。

 

そもそも、「もったいない」という言葉が具体的にどのように使われるのか考えてみましょう。

 

例えば

「お金があるのに使わないだなんてもったいない」

→本来であれば持っているお金を使って何か楽しんだり贅沢したりできるのに、という前提

 

「使い古した服を捨てるだなんてもったいない」

→(場合によることはありますが)使い古した服はフリマで売ったりリサイクルしたりと再利用できるのに、という前提

 

他にも様々な例があるとは思いますが、基本的に「もったいない」という言葉が使われる場合は

「本来であればもっと良くなるはずなのに」

「もっといい使い道があるはずなのに」

という前提があるはずです。

 

「もったいない」を良い意味として捉えられるように

自分が今所属している学生団体で仕事をしている際の出来事でこんなことがありました。

あまり具体的に書くと長くなるのでやや抽象的な話になってしまいますが、

 

その団体の先輩と打ち合わせをしていて

自分は先輩に対してアイデアを提案していたのですが、その際に先輩に

 

「たった一つのことしか踏まえないでアイデアを出すのはもったいない」

 

という旨を伝えられました。

 

しかし、それを聞いても当時の自分はあまり後ろ向きな気持ちにはなりませんでした。

むしろ、

「たった一つのことしか踏まえるだけでなく、色々な要素を加味して考えればもっといいアイデアが思い浮かぶかも!!」

と前向きになっていました。

これも、「もったいない」の裏にある前提に気づいていたからかもしれません。

つまり、この場合であれば「本来なら色々な要素を加味して考えればもっといいアイデアが浮かぶのに」というのが前提にあり、それに気づいていたということです。

 

最後に

以上のように「もったいない」という言葉は一見ネガティブな言葉だと思いがちですが、

その言葉の裏にはポジティブな前提があると思うのです。

だから、何かをしていて「もったいない」という言葉をぶつけられた時は

 

「だったらもっと良くなるのかもしれない!!」

 

と考えられるのではないかなと思います。

 

それでは、今日はこの辺で!!