こんなブログやってます!

北海道の大学3年生 日常生活で気がついたことについて書いていきます。

「もったいない」って前向きな言葉なんじゃないかな、と思う

どうも、こんにちは。

 

最近、「もったいない」っていう言葉は前向きな言葉なのでは?と気付いたので

今日はそれについて書いていきます。

 

 

 

「もったいない」ってネガティブに聞こえるけど

「もったいない」って字面だけパッと見た感じ

 

ネガティブな言葉

あまりいい響きじゃない

 

って思うかもしれません。

 

自分自身も以前は「もったいない」という言葉は悪い意味合いで使われる言葉だと思っていました。

 

「もったいない」という言葉の裏にある前提

しかし、この言葉の裏には前提があると思うのです。

 

それは…

「本来であればもっと良くなるはずなのに」

「もっといい使い道があるはずなのに」

という前提です。

時と場合によってこの前提のニュアンスが異なる場合はありますが。

 

そもそも、「もったいない」という言葉が具体的にどのように使われるのか考えてみましょう。

 

例えば

「お金があるのに使わないだなんてもったいない」

→本来であれば持っているお金を使って何か楽しんだり贅沢したりできるのに、という前提

 

「使い古した服を捨てるだなんてもったいない」

→(場合によることはありますが)使い古した服はフリマで売ったりリサイクルしたりと再利用できるのに、という前提

 

他にも様々な例があるとは思いますが、基本的に「もったいない」という言葉が使われる場合は

「本来であればもっと良くなるはずなのに」

「もっといい使い道があるはずなのに」

という前提があるはずです。

 

「もったいない」を良い意味として捉えられるように

自分が今所属している学生団体で仕事をしている際の出来事でこんなことがありました。

あまり具体的に書くと長くなるのでやや抽象的な話になってしまいますが、

 

その団体の先輩と打ち合わせをしていて

自分は先輩に対してアイデアを提案していたのですが、その際に先輩に

 

「たった一つのことしか踏まえないでアイデアを出すのはもったいない」

 

という旨を伝えられました。

 

しかし、それを聞いても当時の自分はあまり後ろ向きな気持ちにはなりませんでした。

むしろ、

「たった一つのことしか踏まえるだけでなく、色々な要素を加味して考えればもっといいアイデアが思い浮かぶかも!!」

と前向きになっていました。

これも、「もったいない」の裏にある前提に気づいていたからかもしれません。

つまり、この場合であれば「本来なら色々な要素を加味して考えればもっといいアイデアが浮かぶのに」というのが前提にあり、それに気づいていたということです。

 

最後に

以上のように「もったいない」という言葉は一見ネガティブな言葉だと思いがちですが、

その言葉の裏にはポジティブな前提があると思うのです。

だから、何かをしていて「もったいない」という言葉をぶつけられた時は

 

「だったらもっと良くなるのかもしれない!!」

 

と考えられるのではないかなと思います。

 

それでは、今日はこの辺で!!

 

 

最近ランニングをやっていて気づいたこと

どうもこんばんは。

 

何週間かぶりの更新。

 

いつもブログに自分が気づいた事とか、日々過ごしていて考えている事をブログに書いているのですが、今日は日記風(?)エッセイ風(?)に書きたいなと思います。

 

なので別に専門的な知識とかは書くつもりはないです。

 

今日は最近自分がやっているランニングについて書きたいなと思います。

 

 

 

今まで文化系の人間だった

自分は今まで文化系の人間でした。

 

中学では吹奏楽部と和太鼓部

高校ではマンドリン部と吹奏楽

 

中学と高校、いずれも転校を経験しているので部活はそれぞれ2つとも経験しています。

 

こんな感じで運動系の部活なんて一切していなかったですし、プライベートでも運動することは、たまーにしかありませんでした。

 

ましてや、今自分がランニングをしているだなんて昔の自分は想像していなかったと思います。

 

ランニングが脳にいいということを知る

 

大学生になり、ある日ネットサーフィンをしていたら、

 

有酸素運動をすると脳に良い!!」

 

みたいなブログやニュースサイトの記事を見かけるようになりました。

 

(具体的にどのように脳に良いのかはネットにたくさん情報が転がっているので興味がある方は調べてみてください。)

 

その時の自分は(今もですが)、「もっと頭良くなって、できる自分になりたいな〜」

と思っていたので、有酸素運動の一つであるランニングに挑戦してみることにしました。

 

きついけど楽しいし、頑張りたいと思える

基本的には近所のジムっぽいところのランニングマシンを使わせていただいてます。

 

そこでランニングしているのですが、いかんせん自分は今まで文化系の人間だったのですぐに脇腹が痛くなるし、呼吸が辛くなります。

 

ただ、

走り終えて「疲れた〜」と思っても

「もう二度と走らね〜」

とは思わないんですよね。不思議と。

 

むしろ、「もっと体力をつけてやるぞ〜」

とやる気が溢れていたり

「よく頑張った!自分!」

と、達成感があります。

これは、実際にやってみたらわかるんじゃないかなって思います。

最初のうちからあまりきついことをすると挫折するだろうと思いますが…。

 

また、走っている最中で「もうそこら辺でやめようかな〜」

と思うこともあるんですが、そこであえて

「もう1分だけ走ってみよう」

「もう1km/hスピード上げてみよう」

と思って実際にそれをやってみることもあります。

すると、あまり無理しすぎない範囲であればできちゃうんですよね。意外と。

そういう時に

「自分の限界を伸ばせたぞ!」

「何だ!自分頑張れるじゃん!」

と、強い自己肯定感を感じます。

 

ランニングをしているとこのような気持ちに襲われます。

 

最後に

と、①今までの自分②ランニングを始めたきっかけ③実際にやってみて思った事

を書いてきました。

 

「頭良くしたい!」という感じで、手段としてランニングを始めましたが、ランニング自体楽しいし頑張りたいなと思うので、ランニングが自己目的化しつつあります。

この場合での自己目的化は別に悪い事だとは思っていませんが。

 

ランニングはランニングマシンでなくても、公園や学校のグラウンド等でもできます。

外に出るのが面倒臭いとか雨が降っている場合でも最悪、家の中でその場足踏みするだけでも結構な運動になります。疲れますしね。

 

まだランニングして頭が良くなったというはっきりとした実感はありませんけど、

その事を指し示す科学的根拠もありますし、少なくともランニングをして良い意味で気持ちに影響することは実際にやってみて気づいたので、これからも続けていきたいと思います。

 

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰かに否定された…。」それでも自分のアンチは無視すべき理由

どうもこんばんは。

 

ブログを新しくして以来全くと言っていいほど更新していませんでしたが今夜、久々に更新します。

 

今日は自分のアンチについて書きます。

 

 

1.1 自分の身の回りにいる、否定してくる人(アンチ)

アンチと言ったら大げさかもしれませんが

普段の人間関係においても、

 

「〇〇大学合格に向けて頑張るぞ!」

「いやいやwwwお前がそこ受かるとか無理でしょwww」

 

「大学生で起業するぞ!」

「出たwww意識高い系www」

 

「自営業で稼ぐぞ!」

「絶対稼げないからやめとけwww」

 

 

って言われること、思われることってきっとあると思います。

実際にそのような経験がなかったとしても上記のことを言うと批判する人はいるだろうということは想像に難くないでしょう。ネットの世界だと尚更です。

 

 

特にアイドル等といった芸能人には必ずと言っていいほどその人達を否定する存在がいます。それこそいわゆる「アンチ」ですね。

 

否定や批判と言っても、余程それが理にかなっているという場合なら話は違ってくるかもしれませんが…

 

そんな自分に対するアンチは無視すべき理由について書いていきます。

 

1.2 何故無視するべきなのか

1.2.1 アンチに従っても責任は取ってくれない

例えば先程の例みたいに「〇〇大学に行きたい!」といき込んでる人をAさんとします。

しかし、そんなAさんに対して「無理でしょww」と罵るBさんがいます。

AさんはBさんの言葉を真に受けて仕方なく〇〇大学に行くのを諦め、××大学に行くとします。

しかし、××大学に仕方なく進学したAさんは自分が望んでいた大学生活を送ることができませんでした。

 

「〇〇大学に入っていれば…」

「Bさんがあんな事言わなければ…」

 

Aさんはそのように思うでしょう。

確かにBさんの発言は良いとは決して言えないものですし、BさんのせいでAさんのやる気が削がれたのは事実でしょう。

 

しかし、だからと言ってそこでBさんの事を責めても後の祭り。

責めたところでBさんは知らないふりをすることでしょう。

ましてや、そんなBさんを咎める法律なんてありません。

 

そもそも、Aさんが仕方なく××大学に進学することにしたという決断にはBさんの影響はあるものの、最終的にそう決めたのは他ならぬAさんです。

Bさんに、〇〇大学に行かないよう刃物で脅されたのであれば話は別ですがそうでないならば、結局はAさんの自己責任でしょう。

 

他人からの批判を受けてそれに従い、それで後悔しても他人は責任を取ってくれないですし、結局は自己責任なのです。

 

 

1.2.2 無視した方が精神衛生上いい

さっきの例で違うパターンを2つ考えてみましょう。

 

・Aさんは〇〇大学に行くことをBさんに馬鹿にされ、「自分は〇〇大学に行けないかもしれない…」と沢山悩んだが、結局〇〇大学に向けて勉強することにした。

・AさんはBさんに馬鹿にされたがそんなことは全く気にせず〇〇大学に向けての勉強を頑張った。

 

結論は2つとも同じですが、前者の場合は馬鹿にされたことをしばらく引きずっています。

後者は馬鹿にされたことを全く気にしていません。

 

アンチに何か言われても結局自分の行動を変えないのであれば、くよくよ悩まないで無視した方が無駄な時間を過ごさなくてすみますし、精神衛生上いいです。

アンチに何かを言われて「私ってダメなのかな…?考え方変えた方がいいのかな…?」って不安がるのはエネルギーの無駄ですし、下手すると自己嫌悪に陥ります。

 

だから、アンチに何かを言われたとしても堂々としていれば余計なものが省けて気楽です。

また、わざわざ自分のことを批判してくる人(=アンチ)とはなるべく距離を置いておきましょう。

 

まとめ

最後に、アンチは無視すべき理由を簡潔に再掲載しておきます。

 

①アンチからの批判を受けてそれに従い、それで後悔してもアンチは責任を取ってくれないし、結局は自己責任だから。

②アンチに言われたことに対して不安がるのはエネルギーの無駄だし、下手すると自己嫌悪に陥る。ならば気にしない方が無駄なエネルギーや時間を使わなくてすみ、精神衛生上そちらの方がいいから。

 

生きていれば

・自分に対して批判をしてくるアンチ

・アンチとまではいかなくても自分のことを嫌ってくる人

・とにかく斜に構えてくる人

と出会うことは必ずあります。

 

勿論、「自分が絶対に正しいんだ!」って他人のことを否定しエゴイズムに走るのは望ましいとは言えません。それこそ他人に対するアンチに成り下がっています。協調性も必要な場面はあるでしょう。

 

しかし、協調性が必要でない場面であれば自分のことを批判や否定してくる人がいても気にしなくていいと思うのです。

 

そんな周りの存在は気にせず、難関大学進学に向けて頑張ったり学生で起業したり、そこまではいかなくとも自分の生きたいように生きればいいと思うのです。

 

ということで、今日はこの辺で!

 

 

 

 

 

 

 

 

また新しく

どうも。

 

北海道の某大学生の者です。

 

以前までAmebaにてブログを書いていましたが心機一転、このはてなブログに移転することに決めました。

 

また様々なことについて発信していけたらと思います!

 

これからも宜しくお願いします!